団員の声
国技館5,000人第九コンサート体験記
去る2月23日、墨田区主催「第38回国技館5000人の第九コンサート」に参加してきました。当団からも多くの方が参加しました。
私は昨年入団したばかりなので、人前で第九を歌うのは2度目、しかも暗譜ということで、ワクワクドキドキの連続でした。
毎日CDを聞きながらも、暗譜が不安の極み。
不安がつのった時は三村先生のお言葉「第九は一年で歌える訳がない。毎年少しずつ歌える箇所を増やしていく。」を頼りに、お守りのように心に刻みました。
前日の合同練習と当日のゲネプロで本番にのぞみました。
国技館会場はとても広く参加者も多いので、指定座席券をチェックしながら自分の席にたどり着きます。
私たち合唱団員の座席は2階の上の方、見上げれば天井がすぐそこ、という位置でしたが、おかげで会場全体がよく見渡せました。
合唱参加者は7才から96才までおよそ4700人、そのうち80才以上の方が400人以上だったそうです。
北海道から沖縄まで全国から、またアメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、中国、韓国など海外からの参加者もいました。
リハーサルで歌い出すと合唱が大人数なので、怒濤のような音量でさすがに迫力満点でした。
びっくりしたのは、指揮者の大友直人さんから直しの指導があると、あれほどの大人数なのに、次にはピタッと修正できたのには驚きました。
きっと会場全員の集中力と本番に臨む本気度で息が合っていたのだと思います。
プロの指揮者、オーケストラ、ソリスト、そして5000人の合唱の醍醐味を存分に味あわせていただき、楽しみました。
当団に入ったおかげでこのような機会にめぐりあい、感謝しております。
ご興味がお有りの方は是非次回-------------------乞うご期待
(SOP 梅澤文子)
清瀬第九合唱団2年生
2025年3月、清瀬第九合唱団には1年前の私と同じ、入団を思案する見学者が多く来られています。その方たちの参考になればと、私の”合唱団1年生”をここで振り返ってみたいと思います。当初、私が強い印象を持ったのは、「混声合唱団はどこも女声が多勢の中、ここは男声の存在感がある」「毎回の練習への出席率がどのパートも高い」ということでした。そして「入団してわずか3カ月で、6月の夏のミニコンサートに出させてもらえるの?」という嬉しさと緊張感が続きました。この年のテーマは「ヨーロッパ歌巡り」で比較的、知られた曲が多かったこともあり、楽しくスムーズに入っていけました。
ちなみに今夏は「箱根八里」に民謡「最上川舟歌」と毛色はがらりと変わりましたが、「こういった曲は食わず嫌いだったかも」と感じているところです。
もっとも12月の定期演奏会のメーン、ベートーベンの交響曲第九番第四楽章「歓喜の歌」については面くらいました。とにかく音が高く「全部、1オクターブ下げて歌いたい」と思うほどです。ですが壮大かつ、各パートが負けず劣らず華やか(「フーガ」と呼ばれる部分など)な点には惹きつけられました。本番の自身の出来は「残念ながら…」というところでしたが、「このままで終わるわけにはいかない!」と2年生に突入した段階にあります。
また定期演奏会の「タンホイザー大行進曲」にも特別な思いを持ちました。難しすぎる、との声は初心者に限らず強かったものの、やがて各パートの魅力を感じさせるだけの力量が付いてきました。本番の録音を後日、何度も聴き直すほど感激し、“背伸びをして取り組む”ことの意義もまた実感したのでした。
さらに当合唱団は第九合唱の実績が高いとみなされているため、外部団体の企画参加の道が開けているのがお薦めポイントです! プロのコンサートの一部としてサントリーホールで第九を歌ったり(詳細はちょっと秘密です)、「国技館5000人の第九コンサート」に参加したり。またとない経験を1年生にもさせてくれるのですから、継続のモチベーションにならないわけがありません。
団員は同団設立の2010年以来という方も、まだ数年というメンバーもそれなりにいて、落ち着きと新鮮さが同居している点もよいのではないでしょうか。
最近は皆と飲みに行ったり、カラオケをしたりという派生活動の余裕も生まれてきました。職場でも家庭でもない自分の居場所、私の”サードプレイス”に同合唱団はなり始めています。
(ソプラノ 佐野佳世子)
三村先生ナポリ周遊記-1
ナポリ周遊記イタリアに来て2週間経とうとしています。最後はローマに滞在してるので今日はナポリに来ました。ずっとこちらは天気が良くなく特に北イタリアは雨や曇りの日が多かったですがナポリは20℃ですが南なので暑いですね、上着なしで充分です。ナポリもかれこれ今回で5回か6回くらいでしょうか。いつ来てもやっぱり良いですね。ツアーで来ると必ずバスから降りないで下さいとガイドさんに言われると思いますが治安が悪いとかジプシーやスリが多く怖いと言うイメージが大きいですよね。
確かにそう言うイメージはありますが最新の注意を払って行けば楽しめるのでは自分なりに感じてます。さて今回みなさんが歌う「フニクリ・フニクラ」の山であるヴェスヴィオ山が写真の真ん中に見えると思います。やはりナポリと言えばこの景色を見てから死ね、と文豪ゲーテがイタリア旅行の際に言ったそうです。この写真はポジリポの丘と言われるナポリの景色が全て見える高台から撮りました。大概のナポリの写真はここから撮ってると思います。
そして海の上にあるお城は卵城と言われる城で今回は残念ながら閉まっていて入れませんでした。この城の周りの海がサンタルチア湾であのカンツォーネ「サンタルチア」はこの場所のことを歌ってます。まさに歌詞の通りなんです!
この街から生まれたカンツォーネはたくさんあります。フニクリフニクラは誰もが知るカンツォーネですが少しでも歌のイメージが持てて皆さんが楽しくこの風景のように歌えたら良いなと思ってます。

三村先生ナポリ周遊記--2
上の写真は小さな小舟でくつろいでる人がいますね。サンタ・ルチアの歌詞にも出てくるBarchetta小舟です。これがサンタ・ルチアの海です。目の前にはヴェスヴィオが見えます!下の写真は電車から見たヴェスヴィオです。電車に乗ってこれが見えてくるとナポリに来たなと毎回思います。この山に昔はケーブルカーがありましたが今はないです。
フニクリフニクラはそのケーブルカーの宣伝の歌です。さあ楽しく歌いましょ〜
山に登りましょう〜

三村先生ナポリ周遊記-3
ナポリと言えばプルチネルラです。彼はナポリ生まれでピエロで顔があまり良くないため半分隠してるとする言われてます。この日はたまたま彼に扮した人がいました。下はカフェで食べたブルスケッタです、やはりイタリアと言えばトマトですが南のトマトはより味が濃くイタリアは素材そのものを味わうのですごいシンプルですね。
赤の色が違うでしょー?

三村先生ご出演「こうもり」鑑賞
昨夜、神奈川県民ホールに三村先生の出演される「こうもり」鑑賞してまいりました。生憎の雨模様でしたが、客席は満席で盛り上がりも最高でした。
実は、オペラ(オペレッタ)を生で鑑賞するのは生まれて初めてでした。こんなに楽しいもの
だと初めて知りました。三村先生はじめ出演者の皆様の声に改めて聞きほれてしまいましたが、
それ以上に皆様の表情、しぐさ、間の取り方などこれはもうエンターテインメントであると
感じてしまいました。このような機会をいただいた三村先生に大変感謝申し上げます。これ
からも機会があれば、また行ってみたいと思います。ただ、まだ、オペラは敷居が高いような
気がします。というか楽しみ方がよくわかっていません。今後ご教示いただければ幸いです。
Bar 堀内(直)
アジア初演100周年記念「第九」演奏会に参加して
2018年2月12日に日本で初めて「第九」が演奏されて100周年記念演奏会が徳島市で行われ参加した。会場は徳島市の大きなホールで合唱参加3000人、観客1000人であった。
私はフロイデ合唱団から50人と共に参加した。
日本全国から参加者が集まり、外国からドイツの姉妹都市リュウネブルクから高校生100人、台湾から50人(東日本災害の支援の感謝)が秋山和義マエストロ指揮の徳島オーケストラ演奏で迫力ある合唱でした。
第一次大戦時、徳島の坂東捕虜収容所に約1000名のドイツ人が収容され、日本において敬意ある公正な扱いを受けたと言われており、その収容所の中で「第九」が演奏されたのが日本で第九演奏の最初であった。
今回の演奏参加では、現存する収容所の跡や、記念館として、当時の収容所でのドイツ人の生活の展示を見学した。捕虜収容所というと過酷な環境を想像するが、ここでは外出の自由は奪われているが、食事、住居環境等とてもいい環境と思いました。
演奏旅行では、鳴門海峡、大塚国際美術館等まわり、楽しい演奏旅行でした。
尚
この演奏は混声四部合唱でしたが、後日渋谷さくらホールで男声四部の「第九」を当時の楽譜を想像して作成された楽譜(テノール1,2、バリトン、バス)で合唱されました。
会場は満員で、初めて聞く男声四部合唱の迫力を感じました。
バリトン 堀内 知行

市民第九合唱団
5年前の1月に横河電機時代の同僚から電話があった。「工藤さん。今年の12月〇日は空いてる?」1月に12月のスケジュールが入るほど忙しい身ではないので当然12月のスケジュールは真っ白である。「空いてますよ!」電話の主は清瀬在住で、今度清瀬市でベートーヴェンの第九を歌いたいとのことで合唱団を結成したとのこと。市民から団員を募集したところ女性は応募者が大勢いたが男性が少ないので応援して欲しいとのことであった。
学生時代は早稲田大学のグリークラブという男声合唱団で明け暮れていたが、第九も現役時代に2回歌う機会があった。早稲田大学の交響楽団とグリークラブや混声合唱団などで「早稲田大学フロイデハーモニー」を結成して第九を演奏したのである。女声が少ないので共立女子大などにも声をかけてバランスをとっていた。2年(1962年)のときにはデビューしたばかりで世間から注目を浴びていた若き小沢征爾、4年(1964年)のときは岩城宏之と考えられないような指揮者のもとで歌う機会に恵まれた。私はグリークラブではセカンドテノールで、云うなれば上の声も出ないし下の声もでないという中途半端な声域である。この第九の合唱は熱心に練習もしステージにも立ったが高い声が出ないので何か消化不良のような感じのままで終わったように記憶している。
あれから45年も経過した2010年に昔をなつかしむOBによるフロイデハーモニー再結成で第九を演奏しようという話が持ち上がった。そういえば64年以来、第九を聴く機会はあっても歌う機会がなかったので、久しぶりに挑戦してみるかという気持ちになった。現役のときより多少声も出るようになったのか、そこそこ合唱も楽しめるようになってきた。上野の文化会館での演奏会は超満員で合唱団も全員暗譜で中高年の第九にしてはすばらしい演奏会であったと思う。
久しぶりの第九に取り組んでいるときに冒頭の清瀬からの電話を受けたのである。清瀬は私の住んでいる葛飾からは結構遠いけど、私でお役に立てるならと参加することを快諾した。
この合唱団を指導、指揮しているのは清瀬在住のプロのテノール歌手の三村卓也氏で、毎回の練習は云うに及ばず第九以外の合唱曲の選定、第九でもっとも重要なソロ歌手の出演交渉まですべて三村氏が当たってくれるのである。毎年12月に「清瀬けやきホール」という収容人員500名くらいの会場で演奏会を行うのであるが、清瀬第九合唱団は第四楽章をピアノの伴奏で歌うのである。合唱は第九だけでなくアベベルムコルプスやハレルヤコーラスなど毎年先生が選んだ混声曲を歌うのであるが、それだけではお客を満足させられるような演奏会にはなりえない。実は第九のソロに出演してくれるプロの歌手が得意なアリアなどを歌ってくれるのである。四人が素晴らしい美声を聴かせてくれるし、それぞれの曲目の紹介・背景を三村氏が聴衆に丁寧に説明してくれるのでお客さんは満足してくれるのである。
毎年12月に行っている清瀬第九演奏会も今年で5回目となる。合唱への参加メンバーも66名となり、そこそこまとまった合唱団になってきていると思う。60代、70代が多いが、80代の方もいるし最年少は15歳といかにも市民合唱団という構成である。みなさん熱心で土曜日の10時から12時が練習であるが、毎回の出席率は極めて高いように思う。新しい曲をはじめるときは音源となるCDを用意してくれるので、日頃合唱に縁のうすい方々も次第に上達してくるのである。しっかりまとまった幹事団が練習場の確保などむずかしい問題も解決してくれていてスムーズに運営されている。
そして来年は念願であった管弦楽団との第九が行われることになった。もともと「清瀬管弦楽団」は積極的に演奏活動を行っていてベートーヴェンの交響曲も第九以外は全て演奏していたらしいが合唱団がなかったとのことで第九は演奏されてなかったとのこと。清瀬第九合唱団がここまで成長してきたので一緒にやろうということになったようである。ただ、清瀬市には交響楽団と合唱団が第九を演奏できる会場がないとのことで隣の所沢市の会場で行うことになる。清瀬市で演奏できないのはちょっと残念であるが会場がないのでは仕方ない。
細々とはじまった合唱団も清瀬市では相当に認知されてきているようで、5周年演奏会では市長も挨拶にかけつけてくれたし、打ち上げでは副市長や教育長もこの合唱団に対する暖かい期待の言葉もあった。
頑張れ!「清瀬第九合唱団」
2014年12月記 Kudo
歓喜
先生のご指導と、パート別音取り CD も有って、初心者でも「歓喜」を味わえました。この合唱団に入るまでは、私が第九を歌えるとは夢にも思っていませんでした。
仲間とも切磋琢磨が楽しいのです。
プロのソリストと同じ空間で共に第九を歌う高揚感!
そして、感動と意欲!
生活に「活!!」を与えてくれています。
――――― 60歳代 ソプラノ N
第九中毒
風呂出で 詩へ寝る 月輝る 粉健ト ホテル 会う末 理事生むビルべと0点 夫追得る取るん健 貧無理死へ 台ん入り人産む
・・・・・・・と続くこの意味不明の詞を、イイ年をしたジイさんが、丸暗記しようと格闘すること数カ月。
町中を歩きながらこれを口ずさむから、行き交った人からは、“あのジイさんアタマおかしいんじゃないの?”と思われたに違いない。
ムスメからは恥ずかしいから止めてくれと言われ、カミさんからも“みっともない!”と揶揄される。そんな声にも雨にも風にも負けず頑張った甲斐あって
見事暗誦完了。12月のけやきホールでそのご披露と相成った。
首尾は上々。ムスメやカミさんにも聴かせたが、満更でもなさそうだ。
それはそうと同時に歌ったHさん。「第九中毒」なる不治の病にかかり、日フィルと一緒に歌い、クラシック音楽のメッカウィーンや、遥かベルリンでも歌ったそうな。
注:上記の詞は国技館でのベートーベンの「第九」を親子で歌おうと、娘が母親のために作ったものという。このコピーが向島の芸者さんに伝わり、彼女らはこれを両国国技館の「5千人の第九」で詞ヲ」覚えるための“虎の巻”として使用した。
G.G. 男性